a house


  house or home―ハウスとホーム―


“家づくり”ということを考えるとき、よく出てくる2つの言葉。
ハウスとホーム。
住宅メーカーと呼ばれる会社を見ても、○○ハウジングとか、△△ホームズとか。
結局、どっちがどうなんだ、と。
結論から言ってしまうと、どっちでもいいんですが(笑)。
それぞれが、それぞれの考えを持って、その言葉を選んだわけだから。。。

言葉の意味やニュアンスは、皆さんも既知のことだと思いますが、
ハウス=家そのもの、いわゆるハコ。ホーム=家庭、といったところでしょうか。
住宅を供給する側がよく言ってますよね、こんな言葉。
『ハコとしての家=ハウスだけではなく、ホーム=温かい家庭づくりを目指してます。』
素晴らしい考えだと思います。

じゃあ、なぜ私は“a house”という言葉を選んでいるのか。
なかなか微妙なところなんですが。。。
建築を提供するものとして、どこまでのことが出来るのか、という点を良く考えてます。
“家庭”と呼ばれる領域にまで、私たちが踏み込んでよいのか。
それは言い換えると、設計者が自身の“家庭像”を、施主側に押し付けてよいのか、と。
もちろん、ろくな“家庭像”を持たない設計者に、良い“ハコ”を作れるとは思わないし、
私自身も、それなりの家庭というものに対する考えは持っているつもりであり、
良い考えを施主に提案するのは、設計者の役目であることは言うまでも無い。
ただ、それを施主に強いるのはおかしいのではないか、ということ。
この微妙なニュアンスの違いが大事だと思うわけです。

“ここはこう使うから、これじゃないとダメだ”と、強気で設計するんじゃなく、
“こういう使い方も出来るから、こうしておこう”という懐の深い設計と言うんでしょうか。
あくまで“建築家の作品”ではなく、施主の生活する“住宅”であること。
最終的に使うのは施主であり、使い方は施主に委ねるしかないんですよね。
ここはこう使うんです、と設計者が決めて掛かるのは、傲慢と言わざるを得ない。

書けば書くほど分からなくなると思いますが、私が a house とした所以、
少しでも、感じ取っていただければ幸いなのですが。

学生の頃から思ってたこと。
建築は、建築というハコだけでは成立しない。
それを取り巻く周辺の環境、それを使う人があって成り立つものなんですね。
ここで間違えてはいけないのは、設計者が周辺環境や使う人も“設計”するんじゃない。
建築は、既成の環境になじみ、使う人たちによって育てられていくもの。
環境に合い、人に愛され大事に育てられていくようなハコを、いかにして創るか、
それが設計者の役目だと思っています。

以上、まだまだヒヨコながら、建築に携わる一個人の考え、
こういう考えを持って建築に向かう人間もいる、と言う程度に、
受け止めていただけるとありがたいです。。。

Update 15th Apr.,'05

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