Kagawa Prefectural Higashiyama Kaii Setouchi Art Museum





ミュージアムカフェでは、魁夷先生の作品集を自由に見ることができる。
見ていた作品集の中で、心に留まった一節を。

 風景とは何であろうか。私達が風景を認識するの は、個々の眼を通して心に感知することであるから、 厳密な意味では、誰にも同じ風景は存在しないとも いえる。ただ、人間同士の心は互いに通じ合えるも のである以上、私の風景は私達の風景となり得る。 私は画家であり、風景を心に深く感得するのには、 どこ迄も私自身の風景観を掘り下げるより道は無い のである。しかし、画家の特殊な風景感が在るのだ ろうか。私は画家である前に人間である。
 私は人間的な感動が基底に無くて、風景を美しい と見ることは在り得ないと信じている。風景は、い わば人間の心の祈りである。私は清澄な風景を描き たいと思っている。汚染され、荒らされた風景が、 人間の心の救いであり得るはずが無い。風景は心の 鏡である。庭はその家に住む人の心を最もよく表す ものであり、山林にも田園にもそこの住む人々の心 が映し出されている。河も海も同じである。その国 の風景はその国民の心を象徴するといえよう。
          (東山魁夷画文集 美の訪れ)

この一節、そのまま建築というものにも当てはまり、
おぼろげながらではあるが、私も同じようなことを思っていた。
それをこう明確に表現されると、鳥肌が立つ思いがした。。。

Update 14th Aug.,'05

back
top